花沢健吾『アイアムアヒーロー』9巻:「ZQN」表記の偉さ

 最近の漫画購入事情。『GANTZ』とコレと『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』は、新刊出たら即買いしてます。バイオレンス系のみ。いかにも中高生ぐらいの男子が好みそうなインテリ成分低めな漫画群だけど面白いから仕方ないという(笑)。残念ながら『学園黙示録~』は7巻以降、また連載がストップしてるみたいで、全巻売り払っちゃったけど。
 ちなみに花沢健吾の漫画は『タクシードライバー』っぽいことをしていた『ボーイズ・オン・ザ・ラン』をちょっと読んだことあるぐらいで、あまり詳しくはないけど凡庸な人間のリアルさにこだわっているのは伝わってきます。それで先日新刊の9巻が出て購入したので、ちょっと感想でもと思い立って書いてみたら作品の全体的なレビューとなってしまいました。


 で、『アイアムアヒーロー』だけど、この作品はゾンビモノのセオリーにけっこう忠実で、一巻まるまる使ってゾンビの存在が認知される前の平凡な世界を丁寧に描いくところから始まります。この嵐の前の静けさみたいなジワジワ要素をすっ飛ばしちゃうと、やっぱりゾンビ作品としての強度は相当弱まっちゃいうから大事ですね。

 映画だと予算とかエキストラたくさん用意しないといけないから、日本のゾンビ映画みたいに脚本的に意図したわけでもないのに、感染開始間もなく主人公たち以外とりあえず全員ゾンビみたいな悲劇的な作品例がままありますけど(笑)、漫画は描く手間さえ惜しまなければって話で、『アイアムアヒーロー』はその辺がかなり丁寧。

 という感じで、ゾンビ出現前の「個人の日常」を本筋並みにしっかり描くことでその後の非日常を浮き立たせるという手法なわけですが、この作品も1巻あたりの序盤はゾンビがほぼ登場しません。

 そのかわり、連載がもらえない漫画家アシとしての悶々とした苦悩を生きる主人公とかそんな彼の微妙な同棲生活とかのディティールが細かくて、それだけでも一本作れそうな感じの描き込みとなってます。(というよりもあきらかに作者本人の漫画家としての苦悩と怒りが主人公に投影されている印象・笑。「サブカル野郎が大嫌い」と言わせてみたり1巻登場のネーム全否定編集者を9巻でゾンビ化させる手の凝った復讐とか)

 あと猟銃の取り扱いの説明に言及するシーンも執拗に出てくるけど、これは日本で銃をぶっ放すという違和感を無くすための整合性を追求した結果なんでしょうね。誰でも彼でも銃を使えこなせたらおかしいという話だから、猟銃の取り扱い免許を持った主人公という具合。こんな感じで、ゾンビだらけの世界へ突入する山場シーンに備えた舞台設定が粘り強く描かれているから安心な作りとなってます。
 
 で、一番書きたかったことを書く前にもう疲れてきてしまったんだけど、ゾンビが世間に認知されていく過程の一部として、2chの書き込みで表現しているのが面白いなと。まぁ、2chの書き込みを引用する演出自体は『GANTZ』でもよく出てくるし、他の作品にもあると思いますけど、ゾンビを「ZQN」とか表現しているのは偉い!と思いました。というよりも、作品内でゾンビを見て「ゾンビ」と疑わない人々が出てくる牧歌的な作りって、もう厳しいと思うんですよね。「こんだけゾンビの作品あるのにゾンビって単語が一言も出てこないなんて!どこの世界の話だよ!」っていう憤り(笑)この辺も手抜かりなくて僕は好感が持てました。

 ちなみに最近、フロリダ州のハイウェイ横で生きた人間の顔を食っていた男が警察に射殺されるという事件がありましたけど、あれは「ゾンビ」という指摘も当然あったけど「ステマ」とも書かれていて、ネット住民の世知辛さに噴きました。むしろこっちはもっと牧歌的になっても良いんじゃないかっていうね……。

Naked man shot dead by police as he chewed victim’s face off by side of freeway



全裸男性の顔をむさぼり食う全裸の男、警察が射殺 米国



この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で