内藤瑛亮監督『先生を流産させる会』:せめて観てから批判するべきでしょ

先生を流産させる会

 愛知県の男子中学生が起こした実際の事件を題材にした作品。タイトルが持つインパクトのためか公開前から激しいバッシングが起こり、制作陣が狙った以上の宣伝効果があったと思われますが、残念ながらバッシングしていた人々がそのまま映画館に流れ込むことはなく、その多くはどうやら雲散霧消してしまった様子。観ずして文句が先立ってしまう想像力には唖然としますが、それってクレイマー気質の一種なんでしょうか。批判するにしても、やっぱり最低限その内容は確認しないとさすがに失礼だし批判も的を得ないことになります。まあ2ch住人や取り巻きのまとめ系サイトにそんな野暮ったいこと言っても始まらないけどね、ある程度好き放題言えるのがあそこのメリットなわけだし。

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 実話にフィクションを織り交ぜたり脚色を加えて作り上げる手法自体は、それほど珍しいことではないと思いますが、この作品の場合は実際の事件でも使われた「先生を流産させる会」というショッキングな呼称そのものを映画タイトルに持ってきてしまったことがプチ騒動の要因であることはあきらかです。

 で、観ていないのにタイトルから脊髄反射的に沸点に達してしまった人々の心理を考えてみると、彼等がこのタイトルを初めて目にしたときに作品に求めた内容っていうのは、恐らく事件の内容を詳細に伝える「真実のドキュメンタリー」だったということでしょう。だからこそ事件を起こした生徒が「女子→男子」へと変更されていることに過剰に反応して「監督は男尊女卑野郎」みたいな明後日の批判になってしまうし、それに連なるあらゆる罵詈雑言の嵐という齟齬が生じたのだと思います。前提としてこの映画が「フィクション・架空の物語」であることが抜け落ちてしまっています。

 自分がこの作品を鑑賞した限りでは、監督は社会派として事件をクローズアップして病巣をえぐるといったスタンスではないし、ましてやノンフィクションとしてこの映画を撮っているわけでもないわけです。題材はあくまでインスパイアされた内容であろうことが上映後にあった内藤監督と松江哲明監督によるトークショーからも伺えましたし、作品自体は湊かなえ原作の映画『告白』などと同様、あくまでエンタメにジャンル分けされる類だと思われます。しかしながらノンフィクション的なものを求めてしまった一派からすれば、すべてが監督の恣意的な改変として映るようで、異様な怨恨めいたレッテル貼りがなされる状況に陥ったわけです。

 実話ベースだから即ノンフィクション系であるはずという思い込みや、自分の目で確かめてから判断する工程を省いてしまう傲慢さがこの映画の騒動にはあった気がします。鑑賞した上での判断なら、作品を嫌いになろうがまったく構わないですが、ちょっと過激なタイトルを付けただけで袋叩きみたいな状況は好ましくないはずです。映画に限らず、何事も出来る限り自分の確認した内容に即して自分で判断をくだしていきたいとか、そんなことを改めて思いました。

(「実話」が単なる話題作り批判もあるけど、トークショーの内容からすると監督は題材を求めて色々と苦心した結果がこの作品という感じで、そんな邪な発想で撮っているとは思いませんでした)


事件簿:流産させる会


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コメント

  1. ななみ より:

    なんで嫌いな映画をお金を出してまで見に行って、監督の懐を温めてあげなくちゃいけないのか分からないです。
    見てから批判しろと言うのなら、批判者にタダでチケットをあげるべきではないでしょうか。

  2. 通りすがり より:

    嫌いなら見なくてよい。でも、見ないでどうして批判できるのでしょうか?
    それは即ち、ななみさんの想像物に対しての批判になるのではありませんか?

    タダでチケットを挙げても、たぶん意味は無いでしょう。
    なぜなら、微妙なところを付くことで正義を振りかざしているつもりになって、
    不の感情を吐き出しているだけだからです。