園子温監督の「ヒミズ」、この美しき人間賛歌

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 やっとこさ『ヒミズ』を観てこれた。園子温監督いわく「この時代に震災を無視して2001年の現実を描いたって意味がないし、3月11日の震災を盛り込まなければ、現代の若者のリアルを描くことができないと思ったから」というように、原作に大幅な変更を加えた作品。その辺に関して思ったことをちょこっと書いておく。

(ネタバレ含む)



 原作は随分前に読んだので記憶が定かでないけど、ボートハウスを経営する主人公の住田は日常生活の中で見えてはいけない化け物が見えてしまう設定だったはず。映画では、今回の震災で避難してきた被災者の人々がボートハウス周辺に青テント張って暮らしていて、それがある意味で「化け物」の代替物のような役割をしていた印象。(被災者が化け物的だと言っているのではないですよ)

 住田と彼等との交流関係は描かれているものの、作中でその全員が役割として重要な立場を担っているわけではなく、通奏低音のような「住田の生きている世界」を表す存在としての意義が強かったように思う(というのも住田が抱える本質的な問題は、逃げた母親とタカってくるアルコール依存のDV親父に借金取り、そして親殺しの末の世直し活動であって、震災・被災者はあくまでその世界における他人事だから)。その意味で原作における「化け物」が果たしていた「存在することに意義がある」役割に近いのかもしれないなと。(まあ、渡辺哲が演じた夜野正造は子供に未来を託す重要な被災者だけど)

 それと現実世界で起こった「地震」を作品に組み込んでいる以上、その衝撃があらゆる作りモノを凌駕してしまうだろうから、わざわざ「化け物」が見えるという病気を再現する必要もなかったのだろう。激動する世界の真っただ中にいて「化け物」が見えることに悩む姿っていうのも、あまりに呑気な感じもするし。でも、この変更って実は住田の存在を独立したものでなくしている気もした。震災があろうが孤立無援の世界で病気であったり幻覚が見える人はいるはずで、その要素を切り捨てられた「住田」というのは震災にすり寄ってしまっていると。

 原作ではラストに自殺を選択してしまうけど、映画ではそこを踏みとどまる。この転換後に、地震の被災者へ向けた「がんばれ」とも取れるメッセージ性があるシーンにつながっていくのだけど、特筆すべきは押し付けがましいニュアンスが無いこと。それは住田本人が自ら「がんばれ」と思うに至った道のりの映画であるからだろう。めちゃくちゃな家庭環境の中に育ち親殺しの罪を犯してしまった彼が、茶沢さんによる説得もあって自首しようと走り出す最後の場面。そこで初めて自分を肯定する言葉として本人に「住田、がんばれ」と爆発的に叫ばせる説得力は、外野が下手に「がんばれ」と言うよりはよっぽど強いし、多くの人に響く。

 原作と比較すれば、住田の孤立した世界観は若干希薄化しているし、そもそも「住田」を現代の若者像と捉えて敷衍するにはあまりに特殊事例過ぎるだろう。それに「化け物が見える」という要素は、やはり住田の個人的な病気なのだから震災後であろうが見えていないといけないのかもしれない。被災者がその代替物となるのは映画の演出上の話であって、「住田」という人格にとっては代替物足りえないはず、とここまで書いてみると確信的な気持ちになった。


 でも、こうやってなんだかんだ書きつつも(しかも未回収気味なプロットもあったけど)、この映画も園子温節炸裂でやっぱり面白かったし、すごく美しかった。最後手前の二人のシーン、最高にいいよ~。「愛のむきだし」みたいに静かなベッドシーンで回心する重要かつお得意の場面。「車の免許とってたら、出所のとき迎えに行くよ」「でも茶沢さんは大学で新しい彼氏が出来て……」みたいな親密な語り合い、それこそ「化け物」そのものになっていた住田が人間に戻る美しい場面だった、希望が見えたんだろうね、だからこそ生きられるんだよ、ホント人間賛歌。


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