病院へ搬送2

 新年早々の入院劇があったばかりにも関わらず、またもや!今度は救急車で病院へ運び込まれて、3時間ほど点滴を打ってきましたよ。医者によりますと「たぶんウィルス性の急性腸炎でしょう」という曖昧模糊とした保留つきの診断で、いまいち原因は判然としなかったですが(懸念していたノローウィルスでもなかった)、症状が激しくヤバイ……。深夜3時頃に寝付いてから猛烈な胃痛に始まり、一度目の嘔吐をした時点では、「吐いたの高校生以来……」などと回想してみたりする余裕すらあって、これで落ち着いて眠れるかと思いきや、その後は悪化の一途をたどり、結果的に一睡も出来ず5時間の間に嘔吐8回、下痢10回の垂れ流しを不眠不休で繰り返すことになりました。3月とは言え、まだまだ寒いこの時期のトイレに篭城する形で一夜を過ごしたので、体温が下がってしまい、昼間の救急車で搬送されたときには38度の発熱だったそうです。



 実は一時的に小康状態というか症状が軽くなり(昨晩に食べたモノを出し切ったためか)、夜も明けたころ家人に病状を訴えて「脱水症状になりそうだから、スポーツドリンクみたいなの買ってきて」と頼んだところ、すぐに応じて買いに走ってくれたアクエリアス500mlペットボトルを一気に半分ほど飲んでからベッドに入ったのですが、それが真の地獄への引き金でした。アクエリアスそのものを身体が受け付けず、しかもなまじ吸収力が良いせいなのか吐こうとしても出てこない、そして行き場所を失ったアクエリアスが弾けんばかりに膨れ上がった胃の中で波打っている。苦痛のあまりベッドから転げ落ちて床をのた打ちまわってたはずですが、溺れ死ぬかと思いました。その悶絶っぷりを見てこれは尋常ではないと判断したらしく、病院に問い合わせを始める家人。その間、朦朧とする意識でなんとかトイレの便器まで這って行った自分を、今まででもっとも強烈な嘔吐の一撃が襲ってきました。込み上げてくる吐瀉物の勢いで喉が切り裂けそうになって、あまりの痛さにたぶん無意識に叫んでいたんだと思いますけど、その悲鳴が決定打となったらしく救急車を呼ぶ判断が下されたようでした。

 その後は病院からも日帰りだったこともあるし、大事に至らずなんとか回復へ向かっている感覚がありますけど、それにしても家のトイレに見ず知らずの人が数人ダダダッと押し寄せてくるっていうのは、まあ、なんというか不思議な非日常的光景です。救急隊の人たちだってことは分かっているのだけれど、異質な感覚はぬぐえない。異質なだけなら良いけれど、「危うさ」みたいなものも含まれている気がしてならなくて、それは自尊心の喪失へ繋がるような話です。嘔吐したばかりの便器を流すことも出来ず、その飛沫が顔や髪にまで付着している汚らしさなのまま、救急隊員に抱えあげられて救急車に運び込まれる。歩行もままならないほどの衰弱っぷりだったから仕方ないけれど、本来は人には見せない姿を明け透けに見せてしまっているわけで、こういった状態が例えば入院なんかで長期化していくと、自分の場合はどんどん自尊心が希薄になっていって、生きようとする力すら弱まっていってしまう。

 高校時代に入院したときにそのことを知って、あのときは全身麻酔手術後の初の便意を催したので、看護婦さんに車椅子で専用の大きなトイレに連れて行ってもらったものの、鍵を掛け忘れられてしまい、お婆さんが間違って入ってきてしまったということがありました。こちらは麻酔後のふらつく意識で、まだまともに立って歩けないのでお婆さんの侵入を防ぐことも出来ず、そのまま便器に腰掛けているしかない。しばらくして看護婦さんが異変に気が付き、お婆さんをあやすようにしてトイレから連れ出していくのを下半身丸出しの状態で静かに眺めていましたが、同じトイレの中に3人が居合わせるというのは、やはり異質だし異常な体験でした。しかし、その異常だと思える感覚すらもいずれ消失していってしまう。夜になると決まって40度の高熱にうなされるので、お尻を突き出して看護婦さんに座薬を打ってもらうしかない日々。そんな日常が続いていくと、いずれ自尊心も無くなってしまって、ガウンが肌蹴て下半身が露出していても看護婦さんに「自分で直しなさい」と注意されないと分からないレベルにまで恥らいの意識が落ち込んでいく。この恥じらう気持ちの低下というのが、僕の場合は「どうでも良い」という投げやりな気持ちとほとんど同義のようで、めでたく退院したころには、すっかり廃人のようになってしまい、これから元気に生きていこうという活力を全て奪い取ってしまうものだったわけです。

 今回の嘔吐事件は入院しなくて済んだので、上に書いたような自尊心の喪失に繋がっていくようなことは無いと願いたいですが、それでも何か思考的に負のスパイラルに落ち込みそうな不安定な瞬間がある気がします。とにかく、しっかりと体調を治して、かつメンタル面でも気を強く持っていないと、その後の数年が消え飛ぶようなとても厄介なことになることを経験上知っているので、ここは引き締まって頑張ります。どことなくスピリチュアル感あふれる文面になってしまいましたが、まあそれだけの思いということで。

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