大槻ケンヂ『サブカルで食う』:若いころは26時間くらいエロいこと考えてたのに……。

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柔和かつ謙虚な語り口でもってサブカル・ハウツーを指導鞭撻する体裁をとりながらも、最後の宇多丸氏との対談では『でも俺は「福山(雅治)が言っているサブカルちゅうやつに俺も、私もなりたい!」とか言っているヤツらから搾取したいの、この本で!』という本音と建て前の境界線上を這ったアンビバレントなギャグが歪で爆笑な本書(ここまで丁寧にハウツーしておきながら最後にそれ言っちゃう……、みたいな・笑)。全編通して実は「お前に、これだけサブカルのこと『自習』する覚悟あるの?」と暗に問い掛けているわけだけれども、その声は果たしてターゲット層であるワナビーなサブルなくん・サブルなちゃんたちに届くのか?


ちなみに久々に聞いたこの単語『サブカル』の本書における定義は、「カウンターカルチャーとしてのサブカルチャーよりもっとライトなもの=サブカル」ということになるらしく、「AKB48」じゃなくて「ももクロ」といった感じで、テレビ界の現役アイドル・お笑いタレントですらサブカル扱いの、最近なんだか軟化傾向にある(?)QuickJapanあたりの路線かな……、って思ってたんだけど、ガロ系とかピンク映画の話とかも当然のように出てくるし、まぁなんだかんだ言って「サブカル→ようわからんけど一定数の支持者のいるジャンル」の一般的な図式は踏襲されているのかも。メジャーなものに対するアンチテーゼの構造を包含しつつ目立たずに少数派の賛同を得られる立ち位置を維持しているジャンルと考えれば、はっきりいってすべてサブカル化するとも言えるので、要はスイーツ()たちに知られさえしなければ、全てサブカル!ってこれは個人的な解釈でしかも暴論だけど、そんなに外してない気がする。

ということでサブカルの間口はかなり広いはずなんだけれども、それでもその歴史性を無視する謙虚さの微塵も感じられない昨今の若者(……と本書にはあります)には容赦しないスタンス。「洋画はメジャー・邦画は全部サブカル(or僕が知っている話だと「ジブリ以外全部サブカル映画」)、ハリウッド観ないオレってサブカル」と解釈してしまうまでに至っている最近の若いサブルなくん・サブルなチャンたちには著者も大変お怒りのようで、「『燃えよドラゴン』のことを(よくあるアクション映画じゃないですか)って言われた時の怒りね!」「そういうやつは、泣くまで論破しますよ!」と説教オヤジ化してしまうことを自省しつつも、やりどころの無い怒りに打ちひしがれる模様が対談の中に収録されています。

それで、サブカルで食うっていくために大槻ケンヂが掲げる原則として「才能・運・継続」があって、中でもとりわけ「運」が良かったように話の流れが進んでしまう箇所も多いので、勘違いちゃんをさらに助長させること請け合いなんだけど、一番強調されているのは「継続」の部分。「才能」が無かったとしても何かを40年ぐらい続けていれば、それだけでその界隈の「中の下」くらいにはなれるし、継続期間が長いことで運も転がり込んでくるという発想。「継続」できること自体が「才能」という言い方もあるけど、本書ではそれだけ好きなモノ探してみろや、という話でもあって、40年ぐらい続けられるものこそ本当の意味で「好き」と言っても許されるんじゃないかとかそういう話で、要するに『アンヴィル』を観て勉強しなさいってこと。

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