それでもノーベル賞に近い『村上春樹12の長編小説 1979年に開かれた「僕」の戦線 』

村上春樹12の長編小説 1979年に開かれた「僕」の戦線

 先日、「安部公房は受賞寸前だった…ノーベル委員長語」という読売新聞の記事で村上春樹への言及がありました。ちょうどそれに合わせたかのようなタイミングで村上春樹についての批評本が新たに出版されましたが、これは大学で所属していたゼミの先生の本ですね、『地ひらく―石原莞爾と昭和の夢』以来久方ぶりに読みました。春樹でまるまる一本書いているのはこれが初でしょうか?取り上げている作品は下記にある通り。

こちらで一部読めます

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安部公房は受賞寸前だった…ノーベル委員長語る


風の歌を聴け
1973年のピンボール
羊をめぐる冒険
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
ノルウェイの森
ダンス・ダンス・ダンス
国境の南、太陽の西
ねじまき鳥クロニクル
スプートニクの恋人
海辺のカフカ
アフターダーク
1Q84


 部屋の本棚を漁ってみたら『1Q84』以外は読んでるみたいだけど、正直なところ村上春樹の(熱心な読者)でないので作品の大筋を忘れていることも多く、残念なことに本書で論評されている内容も頭を素通りしてしまう感覚に近い辛さがありました。むしろ懐かしく思い出されるのは、講義のゲストレクチャーに招けない作家の代表格として大江健三郎と村上春樹の名前を先生は不敵な笑みを交えて挙げていたなあ、といった記憶ばかりで懐古趣味的な読み方に傾いてしまった次第。

 それで件の読売新聞の記事では、村上春樹の受賞の可能性に関して「生きている作家については答えられない」というノーベル委員会委員長のつれない返事を紹介しています。これでは面白みも無いので、村上春樹・大江健三郎の名前がちょうど並んだことだし、村上作品が候補作になった当時の芥川賞選考会にまで遡って、彼の作品に対する大江健三郎の選評も見ておきましょう。

第81回昭和54年度上半期芥川賞芥川賞選評「風の歌を聴け」がノミネート
今日のアメリカ小説をたくみに模倣した作品もあったが、それが作者をかれ独自の創造に向けて訓練する、そのような方向付けにないのが、作者自身にも読み手にも無益な試みのように感じられた。

第83回昭和55年度上半期芥川賞芥川賞選評「一九七三年のピンボール」がノミネート
そのような作品 として、村上春樹の仕事があった。そこにはまた前作につなげて、カート・ヴォネガットの直接の、またスコット・フィッジェラルドの間接の、影響・模倣が見られる。しかし他から受けたものをこれだけ自分の道具として使いこかせるということは、それはもう明らかな才能というほかにないであろう。


 「一九七三年のピンボール」は大江の「万延元年のフットボール」から来ているのは明らかなのでリップサービスもあったかもしれないですが、村上春樹の初期作品に関しては大江の第81回の選評にある「無益」という言葉に共感します。ゴダールの鼻持ちならない気取った雰囲気に感じる無益さと同質なものがあるというか。ゴダール・春樹と言えば『アフターダーク』に出てくるラブホテルの名前が「アルファヴィル」であることの接点ぐらいしか僕は知らないですけど、なんと言うか思わせぶったり衒ったりすることを多用することの共通性が両者にはあるように感じられて、それはある意味においては本質的に下品なことよりも、さらに下品で野卑な振る舞いに思われるわけです。シティ・ボーイよろしくクールを装ってやり過ごすことにどれほどの価値があるのか、ただ不真面目なんじゃないのその「やれやれ」って言い方は、言葉の背後に潜んでいる感情を炙り出す作業を放棄してるでしょ、と村上春樹の作品が持つ面白さとは別にそんなことを思っての読書になる機会が多いのも事実です。

87年ごろから〈大江健三郎を評価する評家のほとんどは、村上春樹を否定し、村上春樹を評価する評家のほとんどは、大江健三郎を否定するか、低くしか評価しない〉という評価の二分が生じたとした


 上記の引用は「……という通説に抗して両者の近似性を明らかにする」と続きますが、文章技法とそこに潜む態度から考えればやはり二人は対極にあると言えると思います。大江健三郎なら「やれやれ」で済ますことは無く、「おやおや……」から始まり自虐的になってでも何かへ到達するまで葛藤を貫く根の深さ、作家本人の執拗で歪な姿勢を作品に込めようとする真面目さがあると思います。先生なんかは某作家の言葉として「偽善の根が深い(から許す)」という大江評を紹介して楽しそうにしていますが(実際ドス黒いとされる噂も多いですけどね「波事件」とか「オロチX事件」とか「自虐史観敷衍海外講演」とか……、大江本人の奇行を楽しむのもまた一興、でもまあそれは作品とは別個の評価ということで)せっかく読む時間を割くのだからそれなりに濃厚・濃密な内容を文学に期待したいとは思うこところではあります。それでも個人的な嗜好はさておき、アジア圏では村上春樹がノーベル文学賞に一番近いのは確かなのだろうけど。


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